職場の一人ひとりが「問題だ」と認識しなければ、その職場には問題がないことと同じである
ある会社の出入口のすぐ横に、小さな箱が置かれていた。
誰かがそれに引っかかって転びそうになった。
これを聞いた人が
「私もその箱は知っている。でもいったいなぜそんなところに置いてあるんだ?」
と話題になる。
それを聞いた別の人が、
「あの箱は、ずっと前から置いていた」
「そんな箱あった?でも、あれはダメだよね」
と言い出す。
どうもその小さな箱は長い間そこにあったようである。
しかし、存在に気づかなかった人もいた。
ところが一人が転びそうになって初めて小さな箱が注目を浴びたのである。
結果的に、その箱は中身を確認して撤去されることとなった。
この話のポイント
「転びそうになる事件」が起こる前は、その箱は社会的に存在しなかった、
ということである。
物理的には存在していたが、人々が日常の生活をしていく上で、
その箱は存在しなかったのと同じということである。
「転びそうになる事件」が発生したあと、
その箱は、急に存在がクローズアップされることになった。
人々が生活をしていく上で、その箱は「危険な箱」として社会に現れたのである。
皆が「箱がある」と認識したとき初めて、箱が存在するということになる。
このように、
客観的に存在するかどうかではなく一人ひとりの認識で社会のありようが決まる、
という考え方が「社会構成主義」である。
会社や職場の問題を解決するためには
まず、「これは問題だ」ということを共有する必要がある。
まだ職場の問題になっていない状況で、
いきなり「このようなことをすべき」というように、
対策について正義感を振りかざしてしまうと周囲の反発を招く可能性がある。
箱の例でいえば
いきなり箱を放置した人を探し出して文句を言う…
自分でどこかに移動させる…
などの行動が、後で困ったことになるかもしれない。
職場で問題の共有化ができれば
この問題は職場の問題となり、誰もが改善すべきだと考えるようになる。
すると、自然と問題の解決方向に事態が動き出す。
問題に対して皆が困っており、それを皆が知ることができれば、
問題を解決できる人が、できることをするように動き出せるのである。