前提を疑え、
ゼロベースで考えろ、
という言葉は、よく耳にする。
しかし、実践することはとても難しい。
私たちは、知らない間に、「当たり前」という考えに囚われて、
そこから逃れられなくなっている。
「コア・コンピタンス経営」(ゲイリー・ハメル著)の中に、5匹のサルの話が出てくる。
檻の中に、5匹のサルが入っていた。
中央に高い支柱が建てられ、たくさんのバナナが吊り下げられた。
早速、その中の1匹のサルが、バナナをとろうと支柱に登りはじめる。
実は、この支柱には、仕掛けがある。
サルがバナナに手を触れた瞬間、檻の中の5匹全員に、冷たいシャワーがかかるのだ。
そのサルは、バナナを取ることなく支柱から降りてくる。
別のサルも挑戦するが、またもや同じ目に遭う。
そうなると、誰かが支柱を登ろうとすると、他のサルたちがそれを邪魔するようになった。
支柱の上のバナナをとろうとしてはいけない、と学習するのだ。
その後、5匹のサルのうち1匹を外に出して、代わりに新しいサルを1匹を入れ替える。
新入りのサルは、バナナを見て、当然、取ろうと支柱を登ろうとする。
すると他のサル達は、慌ててその新入りを邪魔する。
新入りのサルは、支柱を登ろうとすると仲間から攻撃されることを学ぶ。
その後、檻の中のサルを1匹ずつ入れ替えていく。
1匹目の時には、残りの4匹が邪魔をした。
2匹目の時にも、同様に残りの4匹が邪魔をした。
5匹目の時はどうか。
やはり、残りの4匹が邪魔をした。
この段階では、全員が冷たいシャワーを経験しておらず、
理由もわからずに、新入りのサルが支柱に登るのを邪魔したのである。
今まで自分たちは、支柱に登るのを邪魔された。
でも、なぜ邪魔をされたのか、
その理由はよくわかっていない。
最後に檻の中のシャワーの仕掛けを止める。
もうバナナに触っても、冷たいシャワーがかかることはない。
バナナを簡単に取ることができる状況になった。
でも、どのサルも登って取りに行こうとはしない。
あの支柱には登ってはいけない。
それが檻の中で暮らす前提条件になってしまったのである。
私たちの日常においても、こんなサル達と同じ状況になっていないだろうか。
何かをしてはいけないと言い伝えられているもののその理由がわからない。
逸脱すると厳しく非難される。
誰かに理由をたずねてみても、
「昔からダメだと言われたから」
という程度の理由しか返ってこない。
こういう言い伝えが代々引き継がれていくと、
誰も理由がわからないままに、そのルールを破るのが怖くて従い続ける。
でも、そこで部外者がちょっと試しにルールを破ってみると、
問題なくバナナを取ることができたりする。
イノベーションは、これまで誰も疑ってこなかった大前提に、
アクションを起こすところから生まれる。
当たり前すぎて誰も疑わなかったり、
疑うことができないところに意識を向けることで、
新しい機会が生まれる。
部屋に入った瞬間は、バナナがあることはわかっているものの、
しばらくすると、バナナを意識してはいけないことが前提の環境に陥ってしまう。
「当たり前を疑う」ためのヒントは、「素朴な質問」にある。
新人や新たに異動してきた人などは、得てして、
「なんでこんなことをやっているのですか?」
という素朴な質問を投げかけてくる。
素朴な質問に、大きなヒントが隠されているかもしれない。
自分でも理由がわからないことに対しては、行動を起こしてみよう。
場合によっては、冷たいシャワーを浴びるかもしれない。
でもそうした行動こそが、バナナを手に入れるためには、大切なことなのである。