「事上練磨(じじょうれんま)」とは、王陽明が説く自己修養のあり方である。
思想や理念というものは、現実から離れて一人歩きをしやすいものである。
王陽明は、それをいましめ、
本当の思想・理念は、決して日々の生活から遊離するものではない、
人は毎日の生活や仕事のなかで、自分を磨かなければならない、
そうあってこそ、初めて効果があがるのだ、
と、説いた。
あるとき、下役人をしていた弟子の1人が、こう言った。
「先生、たいへんすばらしい学問を教えてくださいますが、
私は、帳簿の整理や裁判の審理に追われて、それを実行する暇がありません」
それを聞いた王陽明は、つぎのように説いた。
「君に、帳簿の整理や裁判の審理などの日常の仕事を離れて抽象的な学問をせよ、
と教えたことは一度もなかったはずだ。
君には役所の仕事があるのだから、その仕事に即して学問すべきである。
たとえば、事件を審理する場合を考えてみよう。
相手の対応が礼にはずれているからといって、腹を立てるべきではないし、
逆に、相手の言うことが如才ないかといって、うかつに気を許してはならない。
また、相手がまわりから手をまわしているかといって、
へんに意固地になってもいけないし、
逆に相手の要請に屈して便宜をはかってやるようなことをしてもいけない。
さらに、煩雑で面倒な仕事だからいって、
勝手に、手を抜いていい加減な処理をしてはいけないし、
まわりが誹謗中傷するからといって、
それに引きずられて、処分を決めたりしてはならない。
帳簿の整理や裁判の処理といえども、すべてこれ実学でないものはない。
それらの仕事を離れて学問をしようとするのは、
役に立たない空学問になってしまうのがオチである」
学問は、机の上だけで学ぶばかりではない。
実際の日々の仕事の中にこそ、学ぶべき点がある。
仕事の中で自分を磨くことこそが、大切な勉強。
成長の糧となるものは、いくらでもある。
常に問題意識を持ち、気を引き締め創意工夫をこらして仕事に取り組む。
そうなれば必ず何かが身についていく。
良い経験をする中での「気づき」こそ、人を成長させる契機となるはずだ。